初めての恵那駅(明知鉄道)

2016年に車の運転免許を取った割に、東京住みを理由に悲しきペーパードライバーだった私が、夫に半ば強引に運転を勧められ練習を始めてからもうすぐ1ヶ月になろうとしています。

初めは、近所のガソリンスタンドに行くことも大冒険だったのに、今は名古屋から中津川までがお手の物になりつつあります(本当に?笑)

さて、今日は、先日何気なく恵那駅に初上陸した時の話をまとめたいと思います。

個人的には、「恵那(ENA)」という発音がめちゃくちゃ好きで、自分に女の子が産まれたら「エナちゃん」と名付けてもいいかななんて思っていたほど、しかしながら、周りには「EMAちゃん」という女の子がめちゃくちゃ多く、ちょっと紛らわしくなるから避けてみたり・・・笑。

さて、そんな私が今回、おすすめしたいのは、『ENA』の方の恵那の駅であります。

JRの中央線の「恵那駅」もさることながらその隣にポツンと位置している「あけてつ」こと

明知鉄道の駅にも訪れてみました。

夫から言われなければ超絶スルーしてしまっていただろうこの「あけてつ」こと、

明知鉄道。

結婚当初からなんとなくその存在は、知ってはいたものの・・・

駅や、電車にはあまり興味が湧かずにいた私も、あけてつグッズで一気に興味が湧いてしまいました。

小さなあけてつの恵那駅にある「あけてつ本舗」ミニタオルや、極楽せんべいなるものもワンコイン以下で販売しております。

明知鉄道の駅の看板などは、シンプルかつ古びた感じにも見えるのでなかなか用事がなければ駅の中まで入ろうとは思わないかもしれませんが、今回入って一番最初に目に入ったこの「あけてつ本舗」は本当に可愛くてグッズを思わず買いたくなりました。

待合室には、明知鉄道のキャラクター「てつじぃ」と恵那市のキャラクター「エーナ」がお出迎えしてくれます。

そして、今回一番びっくりしたのが、御朱印帳ならぬ「鉄印帳」があったこと!

シックなデザインでここにたくさんの「鉄印」を集めるのは、趣味としてすごく楽しそう!と思ってしまいました!!

私もいつか、集めてみようかな・・・鉄印!

今回は、恵那駅の明知鉄道の駅構内を少しご紹介しました!

CA的旅行の感覚の研ぎ澄ませ方。

コロナ禍でたくさんの感情が渦巻くみなさま、いかがお過ごしでしょうか?

私はというと、自動車の運転免許をとって5年目になるこの夏から、夫の超強引な誘いにより、

ついに脱・ペーパードライバーに向けて山間部をくねくね走る中央道で運転の猛特訓を開始しました。

高速のチョイスがいかにも初心者ではないのですが、親戚の家と現在の住まいの行き来に中央道を使って通う、

というなんとも贅沢なNEXCO中日本さんへの忠誠心(片道2000円ドヤァー!!)を示しているわけですが、

車なんて乗るもんじゃない!と運転を拒否し続けた結果、去年ペーパードライバーの証、ゴールド免許になりました、笑。

最近では、岐阜の街並みを知れーっと車で運転できるまでになりましたが、まだまだバックの駐車ができないという悲しい有様です(泣)

だけど、車ってなんて便利なのかしらと最近は思うようになりました。

思い込みが激しい世界一頑固な銀の鳳凰を自でいく私の悲しき定めで、去年の妊娠時期に健気に歩いて買い物に行っていた自分に対してなんとも複雑な感情が芽生えています、笑。

さて、そんなこんなで最近は、仕事の夢を見る頻度も少なくなりましたが、

以前は、結構仕事の夢を見ていて、本当に細かい夢だったので起きるまでズーっっと現実だと思っていたこともありました、笑。

私は、新卒からずっと外国のエアラインでCAとして勤務してきた経験から日本の観光地や旅行先でも

その旅の楽しみ方をいつも最大限に工夫しています(この言い方は盛ってる、爆)

特に、今回スポットを充てている岐阜県(東濃)は、何より夫方の親戚がたくさんいるので

情報が掴みやすく、また関東の人にはなかなかハードルの高い岐阜県の山あいの地域のポテンシャルを伝えるべく

実は、7月からたくさんの情報を収集しつつ東濃に拠点を置き、そこから出かけています。

私は、CA時代にパリにいく機会が多かったのですが、やはり主要なパリの観光地

エッフェル塔、ノートルダム大聖堂、シャンゼリゼ通りなどは、フライトで1〜2回飛べばすぐに制覇してしまいます。

旅行は、そうなってからが面白く、結構ローカルな地区にも顔を出して日曜のマルシェを楽しんだり、

ホテルの部屋で生牡蠣を自分で開けて食べたことも(これに関しては運よく食あたりがなかったですが、真似するのは避けた方がいいかも知れません)

そんな私の日々も今では幻のように懐かしく感じます。

最近は、育児で子育て一色のライフスタイルになりがちですが、

体力と身体さえついていけばぜひあの飛び回っていた頃を彷彿とさせるような仕事漬け(とまではいかなくても)仕事、してみたいですね。

さて、今回ご紹介するのは、これからリニアで東京との距離もグッと近くなるであろう地域岐阜県(東濃)の地区のポテンシャルについてです。

実際、夫方の親戚が住んでいなかったらこの地に足を踏み入れる機会が果たしてあったでしょうか?と思うくらい、

東京出身の私には馴染みは薄く最初は、何をしても「すごいすごい」と感動ばかりの日々でした。

特に今年の夏は、早くから夫とともに岐阜に移住した?

といっても過言ではないくらい義父宅(岐阜在住)に入り浸っているのですが、

8月に入っても夜はエアコンがいらず、窓を開けて夜風を浴びながら入眠できるのは(セキュリティ的にも?)田舎ならではの特権?なのかなと思ったり。

実際、私たち家族の拠点は名古屋ですが、名古屋から1時間30分〜2時間もあれば素敵な田舎に来れてしまうので、これは名古屋もまとめてゴリ押ししたい理由になります。

岐阜の東濃地方は、長野県も近いので、ヘブンス園原で星空鑑賞に行ったり、クアリゾート湯舟沢でグランピングも楽しそうですね。

岐阜のポテンシャルは、本当に知る人ぞ知る分野が多いのでそこについて簡単にゆるーくまとめて

アフターコロナの皆さんの旅先ウィッシュリストに岐阜が入ってくれたら書いてみた甲斐があったなと心から思えます。

ASM(Ao Shachi Mama)

知る人ぞ知るパワースポット? 不動の滝(中野方)に行ってきました。

先日、ずーっと気になっていたとある滝に夫と息子を引き連れて行ってきました。

ここは、夫のお母さん、つまり私の義理の母の出身地域にほど近い、

岐阜県の恵那市中野方というところにある滝です。

岐阜県には中津川市の付知という場所に同じく「不動の滝」があるようです。

そちらの方が有名で検索にヒットしやすいのですが私が先日行ったところは、中野方のどちらかというとこじんまりとしていて

車を止めてからすぐに行きやすい場所にある小さな滝です。

夫が毎年欠かさずにしているお墓参りに行く途中にある「不動の滝駅」という道の駅に車を止めて

そこから歩いて10分ですぐに滝まで辿り着けます。

今回、私がなぜそこに行きたかったかというと、

直感的に相性の良さを感じる滝であったのと義理のお母さんが気になることを言っていたからです。

それは「今の夫(再婚相手)と結婚する前にその滝に行ってそこの宮司さんにあなたは〇〇(岐阜のある地域)の人とご縁がありますよ」と、言い当てられたと言っていて、すごく興味深く感じたからです。

実際、義理の母の再婚相手はその宮司さんの言った通り、そこの地域の人と再婚されて幸せに暮らしています。

そんな不思議な御利益にご縁を感じて、私もその滝がどんな感じなのか見たくなりました。

実際に近くの道の駅「不動の滝駅」はこじんまりしているけどどこか可愛らしい親しみやすい道の駅です。

ここの野菜はとっても美味しく

ここで初めて買った「モロッコささげ」は茹でて鰹節をまぶすというシンプルな調理で

我が家の1歳児もバクバク食べれる美味しさでした!

今回は、道の駅で水(100円)を買ってから夫に抱っこ紐で息子を抱っこしてもらっていざ出発!!

道の駅「不動の滝」から山側に渡り本当にすぐにたどり着く不動の滝の参道。

ちょうど、滝に行って帰ってきたと思われる家族連れとすれ違いました。

参道の入り口にある鳥居。

雰囲気があり、涼しげな入り口です。

滝への道中は、涼しげな渓谷に沿って上がっていきます。

夫は、学生時代に登山(アルパインクライミング)経験者なので

息子を抱っこ紐で抱っこしてもらい滝までの道のりを上がってもらいました。

滝までは、5〜10分くらいで着きます。

滝の到着まであと少し?

手水場にたどり着きました(が、水は入っていませんでした)

手水場を抜けると誰もいない社務所?のような建物が崖に沿って立っていました。

本来ならば、義理の母の言っていた宮司さんに何か一言いただきたかったのですが、いらっしゃらなかったので仕方ないです。

さて、そうこうしているうちに階段を上がるとすぐに境内にたどり着きます。

私は、全く霊感的なものはないのですがこの場所は、静まりかえっていて少し神秘的に思えました。

境内でお参りを済ませると、右側に滝へと降りることのできる小道を発見!

より近くから滝を見るために降りてみてみることにしました。

上から見た滝の様子。

少し小さくてわかりづらいですが、奥で白っぽくなっているのが滝壺に落ちる滝の流れです。

夫に誘われて岩を伝いながら降りていくと・・・

こんな感じで滝が広がっています。

不動の滝のご利益があるとしたらそれ以来、凛とした気持ちでいることができ、

少しばかり、夫を思いやることが増えたかなというところでしょうか?

帰り道可愛らしい看板を見つけて思わず写真におさめました。

帰りは、道の駅まで戻り、新鮮な野菜と中野方名物のほうば寿司を買ってみました。

野菜は、トマトをチョイスしました。

細長いミニトマトは、甘みが強くとっても美味しかったです!!

不動の滝やさいの会の方のトマト、おいしかったです!!

そして、レジ担当のおかあさんオススメのほうば寿司も思わず購入!

2つ入って450円でした!
とっても綺麗な朴葉に包まれた色彩豊かなお寿司です。

このやさいの会の朴葉寿司は、酢飯の酸っぱさの塩梅が素晴らしく、

具材も量が控えめですがしっかりとお米の甘みを引き立てていてもう一度食べたくなる美味しさでした!!

皆さんもこの夏、人がほとんどいない知る人ぞ知るパワースポットでひんやり癒されてみてはいかがでしょうか?

本日の青鯱ママのおすすめスポット

⇩⇩⇩

『不動滝』

〒509-8231

岐阜県恵那市中野方町

岐阜に来るまで。

純東京の人間が縁やゆかりがない場合、頑張って岐阜に来る確率はどれくらいか?

そんなことを考えてみる。

私が結婚した2018年は、2016年に公開された映画「君の名は」熱がまだまだ熱くロケ地が

岐阜であるようなことをふとテレビで目にしていた。

うーーーーん、岐阜かぁ。。。

多分、長野とかの近くで山間部ですごくのどかで、綺麗なところなんだろうなぁー。

というのが私がその時に勝手に抱いていた印象。

そして、その年、2018年にまさか岐阜にルーツを持つ人と結婚するなんてこれっぽっちも思っていなかったのだが、

夫のおかげで今は、東濃地方に少し詳しくなった。

東濃というのは、岐阜の南東部の地域のことを指していて、多治見・土岐・瑞浪・恵那・中津川がそれに該当する。

私の夫は、その中でも関東人も一度は耳にしたことがあるだろう「中津川」の出身で、2020年の年末に初めて義父宅を訪れて以降、中津川の魅力も、東濃の魅力も少しずつわかってきた。

まず人間、自然の中に身を置くことによって従来の身体のリズムが整い、ピシッとした気持ちがやる気がみなぎるという恩恵を受けることができる。

また、名古屋から車で2時間弱で来ることができ、本当に大自然のなかで過ごせる。

これ以上ないくらい、いい環境で田舎の過ごし方やゆったりした遊びを子供達に教えてあげることができる。

残念ながら、現在2021年の夏休みお盆真っ只中のこの時期も、新型コロナウイルスが猛威を振るっており、連日変異株のニュースがテレビを騒がせている。

そんな中、私たち家族は今年の夏は早くから義父宅に拠点を移し、田舎の恩恵であるゆったりとした時の流れを楽しんでいる。

義父は、厳しい人だが私にはとても優しく、また72歳にして教養を深めようとアフリカの動物の生態系のドキュメンタリーを喜んで見ているような素敵な人物である。

そんなとき、ふと自身の父親と比べてみるが私の父はせいぜいバラエティ番組を見て笑っているくらいだろうと思うから、やはり某京大生を出した血筋はすごいなと思ってしまう。

去年は、私の姪っ子も中学受験をしておりそんなお受験の様子を見ながら興味本位で灘中への進学率が高い塾パンフレットを取り寄せる始末な青鯱ママだから自分のミーハー癖も末期なんだと思う、笑。

息子には、興味のあることをとことん突き詰めて生きる喜びをたくさん感じる人生を送ってほしいと思う。

(あれ?これは岐阜に関する記事なのに、全く関係ない方向に行っている、笑)

つまりは、ゆるーくまとめてみると

東海3県のポテンシャルは「人混みを避けられゆったりと過ごせてほどほどに都会、ほどほどに田舎」という点で最も優れており、

実は名古屋の住みやすさはとてつもなくポテンシャルの高いことだと実感している今日この頃なのでした。

岐阜かぁ・・・。

しかし全く予期せぬところに嫁いできて、こうしてブログを書きながら中津川を満喫している自分がいるんだから

本当に人生何があるかわかりません。

『人生は、わからないから苦しくてそれだけどとびきり愛おしいのだと思う、青鯱ママなのでした』

aoshachimama.

時間の流れ。

東京に住んでいる時は、時間の流れが一瞬過ぎて

あれもしなくちゃ。

これもやりたいな。

などと兎に角欲張りになっていた私。

当時の独身の私。

側から見たらきっと、きらきらした私。

本音は”結婚したい!でも素直になれない。”

そして、あれもこれも楽しみたい、遊びに行きたい、お出かけしたい。

海外旅行の女子旅に行ったり、

リゾートで友達とはしゃいだり、

仕事ついでにマラソンを楽しんだり

“明日人生に終わりを告げても後悔しない生き方”

なんて言って生産性のない話に花を咲かせて飲み歩く日々。

そんな価値観が変わりつつある。

夫のルーツ、岐阜県の時間の流れに身を委ねる。

ここから変われるかな?

自分をまた好きになれるかな?

素直になれるかな?

色んな自問自答が出てくる。

朝、滞在している岐阜の義父宅周辺を散策しながら

時間の流れの違いを感じる。

これからまた、変わって行くこともあるし

きっと変わらないものもある。

まずは自分を甘やかす時間を堪能して

また再び頑張っていこう。


治らないクセ、0か100か。

わたしには、幼い頃から染み付いた非常に厄介なクセがある。

それは「物事を0か100か」で見てしまうという、とても厄介なクセだ。

言うなれば、私は人によく思われたいスイッチが容易に入りやすく、そのくせその人から「凄い!」と思われなくなったら、その環境(人)から一目散に逃げてしまう、大変困った習慣があるのだ。

無論、父と母にもこの「0・100フィルター」をかけているため

色々と都合が悪い時は、誤魔化してしまうこともある。

ただ、この誤魔化しがのちにとんでもない罪悪感となって、とある事象では、未だに胸の中にフラッシュバックし

ゾワゾワした気持ちで、私の全感情を支配してしまうことがある。

さて、では今の旦那、すなわちOttoに対してはどうだったのかというと、それはもう巨大なフィルターで

出会った当時は、彼に好かれようと必死だったし、

なんとか振られまいと頑張っていたこともある。

しかし、だ

ある出来事をきっかけに私は彼からの信頼をすべて失うことになるのだった。

それが困ったことに私の友人や

知り合いすべてに対するこの「0か100かフィルター」の

チリツモの結果が、関係しており

大事な夫である彼を私から遠ざける信頼失墜を生んでしまったのである。

「よく思われたい」

そんなちっぽけなプライド、早々に棄てるべきだった。

いつからだろう。

わたしには「お姉ちゃんなんだから」という

“長女の呪い”がついて回っているように感じることがある。

幼い頃からのこの”お姉ちゃんの呪い”は、

弟が生まれた2歳の時から

一族の共通認識”Kowen=お姉ちゃん”になっていたに違いない。

思えば、いとこの中でも一番はじめに”お姉ちゃん”になった私は、その期待に一生懸命応えようとしていたはずだ。

小さな私の脳みそは、「頑張って周りの人に嫌われまい」ときっと必死だったに違いない。

4歳の時だろうか、祖母に言われたことがある

「Kowenは、お姉ちゃんなんだから、みんなの布団を敷かなくてはいけないよ」

祖母宅でのこのやりとりは、今でも鮮明に覚えているが、あれから三十数年経った今でも、この言いつけの「100」の部分を守ろうと必死なんだから、本当に困ったモノだ、笑。

100%のお姉ちゃん…

「お姉ちゃんなんだから、ちゃんとしなきゃいけない」

「お姉ちゃんなんだから、わがまま言ってはいけない」

「お姉ちゃんなんだから、お手伝いしなきゃいけない」

あげればキリがないが、3人兄弟の長女として、

それはそれは、あるべき姿を押し付けられ、それがいつしか「私は失敗してはいけない」という考えの元凶になってしまったように思う。

つまり、

「失敗したら(0になったら)私はオシマイ。」

全く、こんな呪い、

大人になった私が

4歳の私に会うことが出来たら

爆速で解いてやるのに…。

とりあえず、言わせて欲しい。

「もう、頑張らなくていいんだよ」

と。

「お姉ちゃんも、失敗します」

「お姉ちゃんは、出来ないことだらけです」

「お姉ちゃんは失敗することで、みんなに嫌われるのが怖かった」

だから、今日から少しずつ…

Ottoと一緒に試してみたいことがある。

それは、0でもなく、

100でもなく、

50、という場所を目指して漂ってみる、ということ。

すなわち”中庸”を体現できるようにほどほどを、目指すのです。

「中庸」という。この言葉を教えてくれたのが、

今の旦那(Otto)なんだけどね。

ありがとう、

この私の手を引っ張り上げ、失敗しても見捨てずにそばにいてくれた、

優しくて、強いあなたのことを

私は一生忘れないよ。



万人に好かれる方法などない。

自分の哲学を貫く人は、

必ずどこかで困難の波に飲まれている。

私もそうだった。

感情的になったりすることはしょっちゅうだし、そもそもの問題の原因を万人の意見とすり合わせることで、嫌われないようにしておこう、というフィルターがかかることもあった。

では、それはなぜなのか?

めんどくさがりの私は、その問題を早く解決させることで心の負担を減らしたいと思うからだ。つまりは、問題の本質と向き合うどころか一目散に逃げているのである。

さて、私は最近、夫が始めた新しい取り組みに対して、「少し違うんじゃないかな?」と思っても黙っていることにしている。

「あっ、そのやり方、それだと、そこうまくいかないんじゃないかな?」

という予感があっても、私はひたすら黙って見守るという行動を選択している。

それは、夫のありのままでそのコミュニティと関わりあうことでどんな化学反応が生まれるのか?という、真面目な興味と、私の意見を反映させずに突き進む、それがOttoなのだよ、という親心のようなものがある。

夫が責任を持ってやる以上、進め方を決められるのはOttoのみだと信じている。

そしてたった今、私が抱いていた、嫌な予感は的中してしまった。

一部の人から否定的な意見をもらったようで、せっかく準備した夕食を断るくらい彼は落胆している。

彼の決めたこと、彼がしたかったこと。

否定的な意見は短期的に見るとたしかに血が上る。

しかし長期的に見れば、本音で語ってくれる人を大切にするのは非常に効果的だし、大事なのは落胆ではなく5年後、10年後につなげる力だと感じている。

「夫よ、自分のやり方を信じて突き進むときは、とんでもなく風当たりが強い時があって然るべきなんだぞ!」

その風当たりは、あなたが予期しなかったくらい強い時もあるだろうし、あなたには短期的にはダメージとなるであろうと覚悟している。

しかし、次に同じ問題に直面したときは、あなたはまた一段と、確実に成長しているはずだから、まぁ今は珍しく羽を休めて休養すればいい。

新しい取り組みに関しては、好きにやればいい。

私だってそれが原因でマイルドな好奇の目で晒されるくらいは、余裕だと感じる図太さくらいは持っている。

大丈夫だ、突き進むのだ!

5年後にまた振り返ってみようね!



おかしな日本語。

私は10年以上も、海外と日本を行き来する仕事をしている。

なので今でも、日本語の語彙力が非常に怪しく、Ottoから良く指摘される。

そうなるとこのお休みの時期には、美しい日本語を再度学ぶ機会なはずなのだが、

この度、やはりカチコチな頭をほぐすため、中検とTOEICの勉強をスタートさせようかなと思う。

中検は、リスニングが満点だったのにリーディングがベラボーに出来ず3級を落としてしまった過去があるので、ここは育児の傍ら、頑張って絶対に合格したいところである。

また、TOEICに関しても語彙力がかなり問われるので初心に帰って、地道な勉強を続けて行こうと感じる。

さて、結果はいかに。

7月受験を目指すのでなかなか時間がない!汗



アイデンティティとは何か?

仕事人間だった私にとって、結婚はまさしく私の価値観を大きく変えたものの一つであり、まさにパラダイムシフトであったと言っても過言ではない。

まず、関東の下の下の大学、通称Fラン大学を出た私にとって、Ottoの凄まじい学問に対する知識と、どの分野でも専門性を持って答えてくる教養はまさに、Fランにとってはキャパオーバーすぎて、頭に円◯脱毛症ができるんじゃないかというくらい凄まじい経験をさせてもらってます、笑。

婚姻関係が続いている今も、果てしない教養と、

まるで大学院の教授と生徒かのような、側から見たら「なかなかエグい」この環境は、群を抜いてユニークだと言える。

すなわち、この3年間という結婚してからの期間、まさに3分の2以上をそんな西の雄である某K都大学卒のOttoと過ごしている訳なんだけども、間違いなく私の教養も、知れーっとレベルアップしていることと思う。

なぜそう思うか?

それは、今まで考えもしなかったことについて考えざるを得ないから。

多分、この世の中の何%がそんな経験をしているかは定かではないが、まずは独身時代の私についてのご紹介。

まず、私は超がつくほどズボラでめんどくさがりであり、

人の話を聞けない(非常に恥ずかしいけれど断言します)

そして、自己都合で物事を解釈するので、結局は何か問題があったとしても、人に責任転嫁をしてしまい、

自分での失敗談や経験が乏しいままで育ってしまった(我ながらボロクソに自分を分析してみる、笑)人間であるのかなと感じることがあります。

つまりは、そんな私を拾ってくれたありがたい会社で仕事をすることが生き甲斐だったけれど、

入社して10年目で結婚して、子供を授かり、産休・育休期間に突入し、

今に至る訳だが、

その産休・育休の間、私は、さらなるメンタルの問題が発生し、

追い込まれる事態に。

それは、産休・育休中は仕事をしていないから、自分でお金を生み出せず、

心置きなく好きなものを買うこともできず、

しまいには、「果たして今の自分には価値があるのだろうか」という

キッツイ自問自答を暇さえあれば繰り返してしまう、

不毛な脳みそ絶賛覚醒中と相なってしまう。

そこに時にはホルモンバランス様も参戦して、

人様のメンタルを色々とみるにたえない側へとシフトしてしまうのである。

ぶっちゃけ、そこまで、自分を卑下するか?ということだが、

これもそれも全て『伸びしろ』ということでまとめておこう。

無論、脳筋という言葉を最近覚えて使いまくっているのだが、Fランでも、体育会を誇りに思っていた私はそれに該当するかも知れない(爆)

さて、Ottoといると色々と良い気づきも、悪い気づきも含めてあるので、やぁれ自分の見たくない側面をとても目にすることになるのだが、少し冷静に考えてこんな思いしてまで夫婦やってる家庭ってどれくらいいるのかな?ということで、多分私はひと昔前の時代の主婦を体感しているのだ。

これは、Ottoの悪口ではなく、ユニークを考えるという意味でアウトプットしている。

家庭で過ごしていることはまさに、一体全体精神崩壊したっておかしくないレベルなのに、今は、仕事をしたいという気持ちをグッと抑えて毎日を一生懸命に生きてるのだ。

この記事を書いている間に息子はハイハイをしながらいきんでいたので、これぞ育児の醍醐味とばかりに2回ほどオムツを替えている。

息子と過ごす時間は、何より楽しい。

コロナ禍で子供と、遊ぶ場所やお友達作りが限られている中、Ottoのサポートのおかげで息子にはさまざまな機会を与えることが出来ている。

それは、習い事にカテゴライズされるかも知れないが、私は東海圏のお受験熱の高さにも飲み込まれそうで、がしかし、目指すならてっぺんやろがい!と0歳の息子を前にして息巻いている、笑。

どうせなら、この権力まみれの世の中を変えるくらいの器にはなってほしい(なんの話?笑)

私は海外に滞在することを主とする仕事についており、この育児休養が開ければ無論海外に放り出される可能性もなきしもあらずなのだが、今はコロナが猛威を奮っている最中、そして、育休や息子との時間のあり方も考えていきたいと感じており、大好きな仕事を前に少しためらっている自分もいる。

一番は、多忙を極めるOttoが一人で家事や育児をこなせないだろうという

決めつけ事実が私を仕事復帰から遠のかせようとしているのである。

迷える私のアイデンティティ、贅沢は言わない。

意外な形でもいい、仕事復帰した暁にはどうかアイデンティティの情熱の火を再度燃やしてくれますように。

Kowen

上機嫌は職務です。

今月のテーマは、上機嫌。

わたしは、占いが好きで毎日のように自分の運勢を調べてしまうのだが、

ゲッターズ飯田さんの占いの本には「今月の開運3箇条」というものがある。

毎月色々と内容が変わるのだが、「銀の鳳凰」という私のタイプの今月の3箇条は

①中旬までは積極的に行動する

②明るい感じの服を着る

③周囲からの協力や支えに感謝する

というものだった。

しかし、今月がもう終わりを迎えようとしているにも関わらず、どれもできていないことに気づく(笑)。

さて、この3箇条は、ゲッターズ飯田さんからのありがたい助言であるが、自身では今月、どんなことを気をつけて過ごしていきたいか?を考えてみたい。

まずそれをまとめていく前に、

私の性格上の厄介ごとというか、困りごとを書き留めておきたい。

私はOttoから不意な瞬間に「どうしてそんなに不機嫌なのか?」と質問されることがとても多い。

非常に良くないのは、自分自身ではさほど不機嫌だと思っていないことだ。

それを毎朝、私がいかに不機嫌であるかを説明してくるOttoもなかなかだが、ここは素直に受け止めて原因を考えていきたいと思う。

すると、自分の人生を振り返った時にあることに気づいたのだ。

それは、私自身の父親についてだ。

私は、父親に対して「いつもどうしてこんなにイライラしているんだろう…」と感じることが、ものすごく多かった。

毎朝のように彼は、一人で慌てて仕事に行く準備をし、一人で周囲を不安にさせるような言葉を口にしながら仕事に向かうのだが、平日のこんな光景は非常に不愉快な時間だったし、ある種病的な光景に嫌気がさしていた。

そして何度も「そういう余裕のない態度は非常に不愉快だからやめて欲しい」

と父親に指摘したことがある。

しかし、その後も直るばかりか、その行動が、繰り返されること30年余(笑)。

今は私も、結婚し、父親とは、別々に住んでいるので半ば諦めたようになっている。

また本人も、もういい歳なので、父と同居する母親がうまくかわしているから、それでいいかと感じている。

そうだな、父親本人は、自覚がないままそういう態度をとっていたのだと思う。

私は父親の「何気ない時も常に余裕がなく、周りに配慮できない姿」を見て、

こんな大人にだけはなりたくないなと非常に強く思っていた。

しかし、あれから何年経っただろうか、

自分自身が結婚し、少なからず誰かと一緒に生活をすることになる訳だが、その同居人筆頭者であるOttoを通して、自分自身が周囲を巻き込んで、どれだけの不機嫌オーラを放出してるのかを考えさせられている。

そして、それは、少なからず息子にも、

嫌な思いをさせてしまっていることに気づくのであった。

しかし、毎回毎回意図していないところの不機嫌さを

Ottoからくどくどと注意されるのも、結構ストレスがかかる。

ならば、どうすればいいか。

いっそのこと、今月、自分自身が意識する事項として念頭に置き、具体的な行動を交えて、自身の感情と行動を観察していくべきだと感じたわけだ。

仕事を頑張っているOttoのためにも、愛され妻とやらになるためにも賢く自分を研究し、シンプルに答えを見つけて実践することができたら今月は、成功したかなと思う。

答えは後ほど・・・

とにかく、上機嫌でいれば、人生は好転することはなんとなくわかっているので、そこまで持っていけるように、実践あるのみだ。