アイデンティティとは何か?

仕事人間だった私にとって、結婚はまさしく私の価値観を大きく変えたものの一つであり、まさにパラダイムシフトであったと言っても過言ではない。

まず、関東の下の下の大学、通称Fラン大学を出た私にとって、Ottoの凄まじい学問に対する知識と、どの分野でも専門性を持って答えてくる教養はまさに、Fランにとってはキャパオーバーすぎて、頭に円◯脱毛症ができるんじゃないかというくらい凄まじい経験をさせてもらってます、笑。

婚姻関係が続いている今も、果てしない教養と、

まるで大学院の教授と生徒かのような、側から見たら「なかなかエグい」この環境は、群を抜いてユニークだと言える。

すなわち、この3年間という結婚してからの期間、まさに3分の2以上をそんな西の雄である某K都大学卒のOttoと過ごしている訳なんだけども、間違いなく私の教養も、知れーっとレベルアップしていることと思う。

なぜそう思うか?

それは、今まで考えもしなかったことについて考えざるを得ないから。

多分、この世の中の何%がそんな経験をしているかは定かではないが、まずは独身時代の私についてのご紹介。

まず、私は超がつくほどズボラでめんどくさがりであり、

人の話を聞けない(非常に恥ずかしいけれど断言します)

そして、自己都合で物事を解釈するので、結局は何か問題があったとしても、人に責任転嫁をしてしまい、

自分での失敗談や経験が乏しいままで育ってしまった(我ながらボロクソに自分を分析してみる、笑)人間であるのかなと感じることがあります。

つまりは、そんな私を拾ってくれたありがたい会社で仕事をすることが生き甲斐だったけれど、

入社して10年目で結婚して、子供を授かり、産休・育休期間に突入し、

今に至る訳だが、

その産休・育休の間、私は、さらなるメンタルの問題が発生し、

追い込まれる事態に。

それは、産休・育休中は仕事をしていないから、自分でお金を生み出せず、

心置きなく好きなものを買うこともできず、

しまいには、「果たして今の自分には価値があるのだろうか」という

キッツイ自問自答を暇さえあれば繰り返してしまう、

不毛な脳みそ絶賛覚醒中と相なってしまう。

そこに時にはホルモンバランス様も参戦して、

人様のメンタルを色々とみるにたえない側へとシフトしてしまうのである。

ぶっちゃけ、そこまで、自分を卑下するか?ということだが、

これもそれも全て『伸びしろ』ということでまとめておこう。

無論、脳筋という言葉を最近覚えて使いまくっているのだが、Fランでも、体育会を誇りに思っていた私はそれに該当するかも知れない(爆)

さて、Ottoといると色々と良い気づきも、悪い気づきも含めてあるので、やぁれ自分の見たくない側面をとても目にすることになるのだが、少し冷静に考えてこんな思いしてまで夫婦やってる家庭ってどれくらいいるのかな?ということで、多分私はひと昔前の時代の主婦を体感しているのだ。

これは、Ottoの悪口ではなく、ユニークを考えるという意味でアウトプットしている。

家庭で過ごしていることはまさに、一体全体精神崩壊したっておかしくないレベルなのに、今は、仕事をしたいという気持ちをグッと抑えて毎日を一生懸命に生きてるのだ。

この記事を書いている間に息子はハイハイをしながらいきんでいたので、これぞ育児の醍醐味とばかりに2回ほどオムツを替えている。

息子と過ごす時間は、何より楽しい。

コロナ禍で子供と、遊ぶ場所やお友達作りが限られている中、Ottoのサポートのおかげで息子にはさまざまな機会を与えることが出来ている。

それは、習い事にカテゴライズされるかも知れないが、私は東海圏のお受験熱の高さにも飲み込まれそうで、がしかし、目指すならてっぺんやろがい!と0歳の息子を前にして息巻いている、笑。

どうせなら、この権力まみれの世の中を変えるくらいの器にはなってほしい(なんの話?笑)

私は海外に滞在することを主とする仕事についており、この育児休養が開ければ無論海外に放り出される可能性もなきしもあらずなのだが、今はコロナが猛威を奮っている最中、そして、育休や息子との時間のあり方も考えていきたいと感じており、大好きな仕事を前に少しためらっている自分もいる。

一番は、多忙を極めるOttoが一人で家事や育児をこなせないだろうという

決めつけ事実が私を仕事復帰から遠のかせようとしているのである。

迷える私のアイデンティティ、贅沢は言わない。

意外な形でもいい、仕事復帰した暁にはどうかアイデンティティの情熱の火を再度燃やしてくれますように。

Kowen

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