治らないクセ、0か100か。

わたしには、幼い頃から染み付いた非常に厄介なクセがある。

それは「物事を0か100か」で見てしまうという、とても厄介なクセだ。

言うなれば、私は人によく思われたいスイッチが容易に入りやすく、そのくせその人から「凄い!」と思われなくなったら、その環境(人)から一目散に逃げてしまう、大変困った習慣があるのだ。

無論、父と母にもこの「0・100フィルター」をかけているため

色々と都合が悪い時は、誤魔化してしまうこともある。

ただ、この誤魔化しがのちにとんでもない罪悪感となって、とある事象では、未だに胸の中にフラッシュバックし

ゾワゾワした気持ちで、私の全感情を支配してしまうことがある。

さて、では今の旦那、すなわちOttoに対してはどうだったのかというと、それはもう巨大なフィルターで

出会った当時は、彼に好かれようと必死だったし、

なんとか振られまいと頑張っていたこともある。

しかし、だ

ある出来事をきっかけに私は彼からの信頼をすべて失うことになるのだった。

それが困ったことに私の友人や

知り合いすべてに対するこの「0か100かフィルター」の

チリツモの結果が、関係しており

大事な夫である彼を私から遠ざける信頼失墜を生んでしまったのである。

「よく思われたい」

そんなちっぽけなプライド、早々に棄てるべきだった。

いつからだろう。

わたしには「お姉ちゃんなんだから」という

“長女の呪い”がついて回っているように感じることがある。

幼い頃からのこの”お姉ちゃんの呪い”は、

弟が生まれた2歳の時から

一族の共通認識”Kowen=お姉ちゃん”になっていたに違いない。

思えば、いとこの中でも一番はじめに”お姉ちゃん”になった私は、その期待に一生懸命応えようとしていたはずだ。

小さな私の脳みそは、「頑張って周りの人に嫌われまい」ときっと必死だったに違いない。

4歳の時だろうか、祖母に言われたことがある

「Kowenは、お姉ちゃんなんだから、みんなの布団を敷かなくてはいけないよ」

祖母宅でのこのやりとりは、今でも鮮明に覚えているが、あれから三十数年経った今でも、この言いつけの「100」の部分を守ろうと必死なんだから、本当に困ったモノだ、笑。

100%のお姉ちゃん…

「お姉ちゃんなんだから、ちゃんとしなきゃいけない」

「お姉ちゃんなんだから、わがまま言ってはいけない」

「お姉ちゃんなんだから、お手伝いしなきゃいけない」

あげればキリがないが、3人兄弟の長女として、

それはそれは、あるべき姿を押し付けられ、それがいつしか「私は失敗してはいけない」という考えの元凶になってしまったように思う。

つまり、

「失敗したら(0になったら)私はオシマイ。」

全く、こんな呪い、

大人になった私が

4歳の私に会うことが出来たら

爆速で解いてやるのに…。

とりあえず、言わせて欲しい。

「もう、頑張らなくていいんだよ」

と。

「お姉ちゃんも、失敗します」

「お姉ちゃんは、出来ないことだらけです」

「お姉ちゃんは失敗することで、みんなに嫌われるのが怖かった」

だから、今日から少しずつ…

Ottoと一緒に試してみたいことがある。

それは、0でもなく、

100でもなく、

50、という場所を目指して漂ってみる、ということ。

すなわち”中庸”を体現できるようにほどほどを、目指すのです。

「中庸」という。この言葉を教えてくれたのが、

今の旦那(Otto)なんだけどね。

ありがとう、

この私の手を引っ張り上げ、失敗しても見捨てずにそばにいてくれた、

優しくて、強いあなたのことを

私は一生忘れないよ。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です