私が、朝起きてするルーティンと言えば、
Otto a.k.a 偉い人のコーヒーを入れること。
Ottoよりも先に起きていることの多い、ちびギャングは私に抱かれて階段を降りていく。
「ヨイショっと」と生まれたばかりの体重が既に懐かしい領域にまで達している
息子は脱力したまま、私に身を委ね、そこで毎朝決まって口をぷしゅっととんがらせ、
ふぅーっと息を吐く。
なんとも愛おしい時間が流れている。
彼は、眠い目をちいちゃな手でこすりながら、
移動先の1階下のプレイヤードへと運ばれるのだが、
そこで敷いてあるふかふかマットに横たわり再びカワイイ眠りにつく。
そのときまだOttoは、さっきまで私たちの可愛い息子が間でちょんと寝ていたベッドで寝息を立てている。
この全てが3年前にはなかった光景。
人生は、本当に不思議だ。
結婚することは難しいことだと思っていた。
私には無理だと決め込んでいた。
だけど私には、
そんな絶望的な感情を抱いていた3年前には
想像をし得なかった世界の中心で「コーヒー淹れるのめんどくせぇー」と
文句を垂れているのである。
だから、わたしは噛み締めないといけない。
これがどれだけ幸せなことか、そして、どれだけ恵まれていることか。
昨日から、久しぶりに思いを文章にして
アウトプットしているのだが、その瞬間から脳内が整理されているように感じる。
某旧帝大で医学系の研究をしていたOttoの教養は、とてつもなく深い。
私が彼と結婚したのは、よっぽどの縁があったから
最近は、そう思っている。
それには訳があるのだが….
家族のメンバー総出で横たわることのできる無印良品のダブルベッドには、
その上方にカレンダーが貼ってある。
薬師寺の僧侶、大谷徹奘さんのありがたいお言葉が1日1日に
綴られている日めくりカレンダーだ。
その『8日』のページには、
こう書いてある。
「よっぽどの縁があっての あなたと私」と。
その言葉を初めて見た時、
私の心の奥深くにまでこの言葉の真髄が染み込んでいくのを感じた。
もちろんこの3年間での夫婦の出来事を脳内想起してビビビッときたもんだから、
ついつい手に取り購入してしまった。
そして、毎日目につく場所、ということでベッドの部屋へと飾られたわけだ。
我が家は無宗教であるが、日本古来の考え方は大切にしていてもいいかなと思っている。
さて、最近は毎朝ルーティンであるコーヒーのお供に1週間前からMCTオイルとグラスフェッドバターを入れている。
コロナ禍の運動不足と去年出産したことで、見るに耐えかねなくなった体型の私が、少しずつ”自己肯定感”というそれを取り戻せるまでに回復したような気がするのは、一週間で体重が0.8kg減ったことに限らず、ストレスが減ったこと、が挙げられる。
MCTオイルとグラスフェッドバター入りのコーヒーを”完全無欠コーヒー”と言うらしいが、そんな末恐ろしい名乗り方をされたら、自己肯定感が低すぎて地底を突き抜け、ブラジル人と握手、ならぬ肘タッチしてる私には眩しすぎてもう、飲むのをためらうくらいである。笑
健康であることは、尊くて美しい。
明日からの1週間も、わたしの何倍も気高く美しい”完全無欠コーヒー”にお世話になることにしよう。
GINA(ジーナ)